5月末に控えた二つの受験のための作品作りと、
来週頭に行われる、
パリ高等コンセルバトワールの生徒たちの公演のリハーサルとで、
1日12時間リハーサルの日々が続いています。
パリ高等コンセルバトワールでの公演の出演も、
本当は、
区のコンセルバトワールの生徒が参加することは出来ないことになっているのですが、
とにかく、
例外が多い国なので、
出れることになりました。
でも、昨日は、もっとすごい例外が起こりました。
フランス国立コンセルバトワールでは、
生徒たちによる、
作品発表以外、
授業公開などは、一切禁止されているそうなのですが、
なんと、
6月に、コンセルバトワールの劇場で予定されている公演まで、
クラスに混ぜてもらうことになりました!
ゴダールのおかげ。
国立のコンセルバトワールの授業の中に、
「インタプレテーション」という、
解釈・演出を行う授業があって、
このクラスは、5人の先生が受け持っていて、
1年生から3年生まで合同で、
好きな先生のクラスに入るそうです。
私が、昨日お邪魔したクラスでの課題は、
「ゴダール映画へのオマージュ」
そのクラスの先生は、俳優もしていて、
ジーンズに、
ジーンズ生地のジャケットに、
ロン毛に、
カウボーイハット、
という粋な格好で授業をしていました。
私が、受験したときにも、
審査員として、一際目立っていた人で、
私のことも覚えていてくれて、
歓迎してくれました。
各グループ、ゴダールの好きな映画を選んで、
解釈・脚色をして、
脚本を作って、
演劇作品として再構成するそうです。
私が、依頼されてたのは、
ジャン=リュック・ゴダール『メイド・イン・USA』
http://http://ja.wikipedia.org/wiki/メイド・イン・USA
のグループ。
そのなかに出てくる作家の恋人の日本人役です。
以前、国立のコンクールで、
私が美空ひばりの『真っ赤な太陽』を歌ったのを、
覚えていてくれた生徒がいて、
「私、歌めっちゃ下手なんですけど…」
と、あらかじめ伝えたら、
「面白く」日本語の歌が歌える人を探していたから、
大丈夫だそうです。
彼らが、この映画をもとに選んだ歌は、
何故か『夜霧のハニー』…
ゴダールの映画の雰囲気に、ぴったりだそうです。
http://youtu.be/MWDkWoEq3Y4
でも、私は、知らなくて、
その日の通し稽古開始まであと1時間しかなかったので、
とりあえず、
美空ひばり『川の流れのように』を提案。
彼らは、大満足。
フランス人は、美空ひばりが本当に好きなんだなあ。
そのあとすぐに、
クラス全員と先生の前で発表。
フランス演劇界のエリートたちの前で、
緊張しました。
でも、度胸と愛嬌で乗り切りました。
そして、6月の本番も出演することになったので、
そんなこんなで、
それまで、
このクラスとリハーサルに参加できることになりました◎
クラスの雰囲気は、
私が、勝手に想像する『芸能界』みたいな感じでしたが、
圧倒されないように、
頑張ります。
来週頭に行われる、
パリ高等コンセルバトワールの生徒たちの公演のリハーサルとで、
1日12時間リハーサルの日々が続いています。
パリ高等コンセルバトワールでの公演の出演も、
本当は、
区のコンセルバトワールの生徒が参加することは出来ないことになっているのですが、
とにかく、
例外が多い国なので、
出れることになりました。
でも、昨日は、もっとすごい例外が起こりました。
フランス国立コンセルバトワールでは、
生徒たちによる、
作品発表以外、
授業公開などは、一切禁止されているそうなのですが、
なんと、
6月に、コンセルバトワールの劇場で予定されている公演まで、
クラスに混ぜてもらうことになりました!
ゴダールのおかげ。
国立のコンセルバトワールの授業の中に、
「インタプレテーション」という、
解釈・演出を行う授業があって、
このクラスは、5人の先生が受け持っていて、
1年生から3年生まで合同で、
好きな先生のクラスに入るそうです。
私が、昨日お邪魔したクラスでの課題は、
「ゴダール映画へのオマージュ」
そのクラスの先生は、俳優もしていて、
ジーンズに、
ジーンズ生地のジャケットに、
ロン毛に、
カウボーイハット、
という粋な格好で授業をしていました。
私が、受験したときにも、
審査員として、一際目立っていた人で、
私のことも覚えていてくれて、
歓迎してくれました。
各グループ、ゴダールの好きな映画を選んで、
解釈・脚色をして、
脚本を作って、
演劇作品として再構成するそうです。
私が、依頼されてたのは、
ジャン=リュック・ゴダール『メイド・イン・USA』
http://http://ja.wikipedia.org/wiki/メイド・イン・USA
のグループ。
そのなかに出てくる作家の恋人の日本人役です。
以前、国立のコンクールで、
私が美空ひばりの『真っ赤な太陽』を歌ったのを、
覚えていてくれた生徒がいて、
「私、歌めっちゃ下手なんですけど…」
と、あらかじめ伝えたら、
「面白く」日本語の歌が歌える人を探していたから、
大丈夫だそうです。
彼らが、この映画をもとに選んだ歌は、
何故か『夜霧のハニー』…
ゴダールの映画の雰囲気に、ぴったりだそうです。
http://youtu.be/MWDkWoEq3Y4
でも、私は、知らなくて、
その日の通し稽古開始まであと1時間しかなかったので、
とりあえず、
美空ひばり『川の流れのように』を提案。
彼らは、大満足。
フランス人は、美空ひばりが本当に好きなんだなあ。
そのあとすぐに、
クラス全員と先生の前で発表。
フランス演劇界のエリートたちの前で、
緊張しました。
でも、度胸と愛嬌で乗り切りました。
そして、6月の本番も出演することになったので、
そんなこんなで、
それまで、
このクラスとリハーサルに参加できることになりました◎
クラスの雰囲気は、
私が、勝手に想像する『芸能界』みたいな感じでしたが、
圧倒されないように、
頑張ります。
去年の終わりに観たピナの映画、
『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』
http://
私は、この映画をひどく気に入ったのですが、
この熱い熱い気持ちを、
「感動した!」
とか、
「すごい!」
とか、
「めっちゃいい!」
とか、そんなありふれた言葉でしか、
表せませんでした。
面と向かって、
私のしゃべりのエネルギーと一緒なら、
これらの言葉をやたら繰り返し、
相手に伝えることは出来ても、
悔しいけど、
文字になってしまったら、
マンガのふきだし程度の重みしかありません。
朝日新聞の文化欄に、
小説家、翻訳家、そして批評家でもある、
池澤夏樹氏のこの映画に対する評を見つけました。
文章の力って、
すごい。
わたしのパンの生地みたいな想いは、
勝手にこねられて、
寝かされて、
あっという間に、
熟成されました。
「これが踊りか。
これが踊りだ。精神の動きを肉体が表し、
肉体の勝手な衝動を精神はとまどいながら受け止めて
また肉体に返す。
我々が毎日とても稚拙にやっていることのエッセンスを抽出し、
純化し、
最も美しい形に仕立て上げたもの。」
(朝日新聞 2012/04/03)
読んだ瞬間、
パソコンで、
ひらがなで、思ってること全部かきまくって、
それが、いっぺんに漢字に「変換」された感じ。
【稚拙美】 幼稚でつたないが、素朴さ・純粋さが感じられる美。
ピナのダンスは、
彼女の、
ダンサーたちの、
人間の、
そして、わたしたち全員が所有しているもの。
もしくは、していたもの。
それは、
究極に洗練された子どもの「精神」による、
大人の「身体」のダンス。
だから、
わたしは、
心底嬉しくて、
心底悲しくて、
心底怒ってしまう。
芸術批評は、
時に、
芸術以上に、
アーティスティック。
池澤氏の書いた文章の力が、
完全に、
この映画の記憶にぬりえした。
鮮やかすぎる。
『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』
http://
私は、この映画をひどく気に入ったのですが、
この熱い熱い気持ちを、
「感動した!」
とか、
「すごい!」
とか、
「めっちゃいい!」
とか、そんなありふれた言葉でしか、
表せませんでした。
面と向かって、
私のしゃべりのエネルギーと一緒なら、
これらの言葉をやたら繰り返し、
相手に伝えることは出来ても、
悔しいけど、
文字になってしまったら、
マンガのふきだし程度の重みしかありません。
朝日新聞の文化欄に、
小説家、翻訳家、そして批評家でもある、
池澤夏樹氏のこの映画に対する評を見つけました。
文章の力って、
すごい。
わたしのパンの生地みたいな想いは、
勝手にこねられて、
寝かされて、
あっという間に、
熟成されました。
「これが踊りか。
これが踊りだ。精神の動きを肉体が表し、
肉体の勝手な衝動を精神はとまどいながら受け止めて
また肉体に返す。
我々が毎日とても稚拙にやっていることのエッセンスを抽出し、
純化し、
最も美しい形に仕立て上げたもの。」
(朝日新聞 2012/04/03)
読んだ瞬間、
パソコンで、
ひらがなで、思ってること全部かきまくって、
それが、いっぺんに漢字に「変換」された感じ。
【稚拙美】 幼稚でつたないが、素朴さ・純粋さが感じられる美。
ピナのダンスは、
彼女の、
ダンサーたちの、
人間の、
そして、わたしたち全員が所有しているもの。
もしくは、していたもの。
それは、
究極に洗練された子どもの「精神」による、
大人の「身体」のダンス。
だから、
わたしは、
心底嬉しくて、
心底悲しくて、
心底怒ってしまう。
芸術批評は、
時に、
芸術以上に、
アーティスティック。
池澤氏の書いた文章の力が、
完全に、
この映画の記憶にぬりえした。
鮮やかすぎる。
パリ市立劇場のアベス劇場にて、
去年の静岡の「ふじのくに⇄せかい演劇祭2011」にて
招聘された作品『HIROSHIMA MON AMOUR』のパリ公演を観ました。

http://www.theatredelaville-paris.com/spectacle-hiroshimamonamourchristineletailleur-351
『ヒロシマ・モナムール』は、
フランスの女流作家マルグリット・デュラス(http://ja.wikipedia.org/wiki/マルグリット・デュラス)が脚本、
アラン・レネ、監督の映画「二十四時間の情事」で世界的に公開されています。
被爆地ヒロシマで出会った、
日本人男性とフランス人女優。
二人はそれぞれ、第二次世界大戦により悲しい「過去」を持っていた。
フランスでの、マルグリット・デュラスの人気は絶大。
人気というか、圧倒的に特別な存在。
例えば、戯曲にしても、
コンセルバトワールでも、いくら好きでも、
若者には、恐れ多くて手が出せない…
そんな存在。
よく「フランス人はフランス語が世界で一番美しい言語だと思っている」
言われますが、
それは、
こういう人たちの言葉、そして文章をさしているのだと思います。
そんなデュラスのテキストに挑んでいたのが、
日本人の太田宏さん(青年団)
去年、静岡で公演されたときは、
フランスの作品として紹介されていたような印象を受けましたが、
これは、まぎれもなく太田さんなしには、成立していない作品でした。
作品が始まって、
太田さんの一声目の台詞で、
すでに明確でした。
耳を通して脳に伝わるのではなく、
身体に直接、触れられてる感じ。
それは、太田さんが日本人というアイデンティティーを持ったまま、
フランス語の台詞を話していたから。
どんなにフランス語がうまくても、
日本人のアイデンティティーを持ってない俳優には出せない音だったから。
言葉は、まだ言葉である間は「平面的な」意味しか持たない。
言葉が、音になってはじめて「立体的な」意味を持つ。
(日本人の)役者が、
(フランスの)舞台で、
(フランスの)観客の前で、
(フランス)語を語る。
この( )部分がこの作品は既に幾度となく、変容している。
そして、その度に、新たな「面」が追加されていって、
どんどんどん「球体」に近い「多面体」になって行く。
こういう奇跡的な現象を、
「作品が一人歩きしはじめた」
というんだろうな、と思い、
そんな作品を目撃できたことに心から感謝しました。
公演後の役者と演出家による、アフタートークでも、
お客さんは、主に日本で演劇の活動している太田さんに興味津々。
稽古の進め方について、
太田さんと、相手役のヴァレリーさんは、
とにかく、言葉ひとことひとことと、どう対峙するかを、
徹底的に追求したと言っていました。
状況とか、感情とか、そういう大まかなものではなく、
とにかく、
言葉、
言葉、
言葉。
そして、そこにそっと生じてくる「静寂」の白。
その空白が、なんともダンス的でした。
よくいろんな批評で「詩的」と言う言葉を目にしますが、
私には、この「詩的」という感覚が未だによく分かりません。
ただ、ひとつ言えるのは、
この作品のストーリーとかテーマとかを超えて、
音と静寂の狭間を感じることが出来たこと、
これを「詩的」と言う言葉を当ててみたい気持ちがあります。
ちなみに、
自称デュラスのスペシャリストと豪語していたマダムもこの作品に大満足。
大好きな作家の、もう幾度となく熟読している作品を、
劇場という空間で、もう一度満喫できるなんて、
さぞかし贅沢な気分だっただろうと思います。
去年の静岡の「ふじのくに⇄せかい演劇祭2011」にて
招聘された作品『HIROSHIMA MON AMOUR』のパリ公演を観ました。

http://www.theatredelaville-paris.com/spectacle-hiroshimamonamourchristineletailleur-351
『ヒロシマ・モナムール』は、
フランスの女流作家マルグリット・デュラス(http://ja.wikipedia.org/wiki/マルグリット・デュラス)が脚本、
アラン・レネ、監督の映画「二十四時間の情事」で世界的に公開されています。
被爆地ヒロシマで出会った、
日本人男性とフランス人女優。
二人はそれぞれ、第二次世界大戦により悲しい「過去」を持っていた。
フランスでの、マルグリット・デュラスの人気は絶大。
人気というか、圧倒的に特別な存在。
例えば、戯曲にしても、
コンセルバトワールでも、いくら好きでも、
若者には、恐れ多くて手が出せない…
そんな存在。
よく「フランス人はフランス語が世界で一番美しい言語だと思っている」
言われますが、
それは、
こういう人たちの言葉、そして文章をさしているのだと思います。
そんなデュラスのテキストに挑んでいたのが、
日本人の太田宏さん(青年団)
去年、静岡で公演されたときは、
フランスの作品として紹介されていたような印象を受けましたが、
これは、まぎれもなく太田さんなしには、成立していない作品でした。
作品が始まって、
太田さんの一声目の台詞で、
すでに明確でした。
耳を通して脳に伝わるのではなく、
身体に直接、触れられてる感じ。
それは、太田さんが日本人というアイデンティティーを持ったまま、
フランス語の台詞を話していたから。
どんなにフランス語がうまくても、
日本人のアイデンティティーを持ってない俳優には出せない音だったから。
言葉は、まだ言葉である間は「平面的な」意味しか持たない。
言葉が、音になってはじめて「立体的な」意味を持つ。
(日本人の)役者が、
(フランスの)舞台で、
(フランスの)観客の前で、
(フランス)語を語る。
この( )部分がこの作品は既に幾度となく、変容している。
そして、その度に、新たな「面」が追加されていって、
どんどんどん「球体」に近い「多面体」になって行く。
こういう奇跡的な現象を、
「作品が一人歩きしはじめた」
というんだろうな、と思い、
そんな作品を目撃できたことに心から感謝しました。
公演後の役者と演出家による、アフタートークでも、
お客さんは、主に日本で演劇の活動している太田さんに興味津々。
稽古の進め方について、
太田さんと、相手役のヴァレリーさんは、
とにかく、言葉ひとことひとことと、どう対峙するかを、
徹底的に追求したと言っていました。
状況とか、感情とか、そういう大まかなものではなく、
とにかく、
言葉、
言葉、
言葉。
そして、そこにそっと生じてくる「静寂」の白。
その空白が、なんともダンス的でした。
よくいろんな批評で「詩的」と言う言葉を目にしますが、
私には、この「詩的」という感覚が未だによく分かりません。
ただ、ひとつ言えるのは、
この作品のストーリーとかテーマとかを超えて、
音と静寂の狭間を感じることが出来たこと、
これを「詩的」と言う言葉を当ててみたい気持ちがあります。
ちなみに、
自称デュラスのスペシャリストと豪語していたマダムもこの作品に大満足。
大好きな作家の、もう幾度となく熟読している作品を、
劇場という空間で、もう一度満喫できるなんて、
さぞかし贅沢な気分だっただろうと思います。
例えば、
今日の夜この場所でこの時間、本番をむかえるのは、
昨日の私でもなく、
明日の私でもなく、
今日の午前中の私でもなく、
いま、今夜のわたしだ。
ロンドンオリンピックの選考会で日本代表選手が決まったそうです。
選考基準、厳しい。
http://swimmingview.net/news/maingame/2012londonolympics/2012年ロンドン五輪日本代表選考基準.html
その日、1日で、すべてが決まる。
国立コンセルバトワールの2次試験、
審査員15人の前で、
3分のシーンを1日1作品づつ2日間かけて発表します。
私は、この試験に失敗しました。
絶対受かるだろうと思われていた子が落ちたり、
いろいろ波乱な結果ではありましたが、
私は、確実にベストが出せなかった。
ということで、納得しています。
というか、納得せざるを得ません。
空間を、揺さぶれなかった。
365日中、
300日だけ輝くのか、360日輝けるか、
はたまた365日毎日輝けるのかの差だと感じました。
練習でいくら新記録を更新しても、
本番で更新できなければ意味がない。
ということで、
5月からの試験に向けて以下の記事を読んで勉強しています。
一流アスリートに学ぶ“本番力”
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100520/92444/?ST=career&P=1
余談ですが、
試験会場には、
なんだかんだ美男美女が多かった。
美男美女というか、
やっぱり自分のことが好きな人には、
外見に表れるものだと実感。
私の身体と顔が、
既に履歴書みたいなものだ。
もっともっと、たくさん、
書き込みまくろう。
受験失敗後の母からの手紙。
「どんなグループにも分母と分子がいる。
誰だって選ばれた分子になりたいけれど、
大半は分母で終わる。
でも、分母が大きくなければ、
分子の価値も認められない。」
やるだけのことはやって挑んだ2次。
いまのところ、割と質のいい「分母」ですね。
わたし。

しっかり鮮やかに落ち込んで、
これからは、
脳も、身体も、
演劇アスリートを目指します。
今日の夜この場所でこの時間、本番をむかえるのは、
昨日の私でもなく、
明日の私でもなく、
今日の午前中の私でもなく、
いま、今夜のわたしだ。
ロンドンオリンピックの選考会で日本代表選手が決まったそうです。
選考基準、厳しい。
http://swimmingview.net/news/maingame/2012londonolympics/2012年ロンドン五輪日本代表選考基準.html
その日、1日で、すべてが決まる。
国立コンセルバトワールの2次試験、
審査員15人の前で、
3分のシーンを1日1作品づつ2日間かけて発表します。
私は、この試験に失敗しました。
絶対受かるだろうと思われていた子が落ちたり、
いろいろ波乱な結果ではありましたが、
私は、確実にベストが出せなかった。
ということで、納得しています。
というか、納得せざるを得ません。
空間を、揺さぶれなかった。
365日中、
300日だけ輝くのか、360日輝けるか、
はたまた365日毎日輝けるのかの差だと感じました。
練習でいくら新記録を更新しても、
本番で更新できなければ意味がない。
ということで、
5月からの試験に向けて以下の記事を読んで勉強しています。
一流アスリートに学ぶ“本番力”
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100520/92444/?ST=career&P=1
余談ですが、
試験会場には、
なんだかんだ美男美女が多かった。
美男美女というか、
やっぱり自分のことが好きな人には、
外見に表れるものだと実感。
私の身体と顔が、
既に履歴書みたいなものだ。
もっともっと、たくさん、
書き込みまくろう。
受験失敗後の母からの手紙。
「どんなグループにも分母と分子がいる。
誰だって選ばれた分子になりたいけれど、
大半は分母で終わる。
でも、分母が大きくなければ、
分子の価値も認められない。」
やるだけのことはやって挑んだ2次。
いまのところ、割と質のいい「分母」ですね。
わたし。

しっかり鮮やかに落ち込んで、
これからは、
脳も、身体も、
演劇アスリートを目指します。
すでに、私の定番になりつつあるシーン、ポール・クローデルの『交換』
1月頭から稽古を初めて、
受験でもすでに、2回発表していて、
クラスでも、何度となく発表しているシーン。
いかに、くりかえし行われる「本番」をフレッシュに保つか。
うまくいった次の回こそが、恐怖なのが演劇。
先週の月曜日にクラスで発表したときは、
あり得ないほど最悪で、
自分でも吐き気がするほどでした。
なにもかも完璧なのに、
なにも「生まれてない」
思わず、「稽古のやりすぎ」だと思って、
距離を置こうかとも思ったのですが、
冷静に考えてみると、
気持ち悪いときは、
きっと、相手が変わっても同じ演技するんだろうな、
ハイパーエゴイスト人間になってしまったとき。
稽古をやめるなんて、
あまりにも若造のくせに怠惰ですし、
「やれば、やっただけのこととが確実にある」
という確信が失われるのも癪だったので、
とりあえず、スタジオへ。
というか、「稽古のやり過ぎ」という悪化原因を認めてしまったら、
もはや、演劇の「反復性」を無視することになる。
などと、もやもや考えながら台本を読んでいたら、
ふっと、美空ひばりの『真っ赤な太陽』が頭の中に流れてきました。
速攻、家に帰って、
you tube検索したら、
最高な動画を発見!!
これは、もう「レキ」という私が演じている役のために存在するような歌だ!!
何故か、
必死に物まねを練習して、
気づいたら、早1時間。
思わず、自分の必死さに笑ってしまいました。
はやく皆に発表したくて、
昨日、ルクソンブール公園でのミーティングがあったので、
そのときに皆に『真っ赤な太陽』をお披露目。
みんな、大爆笑で、
速攻覚えて、
「真っ赤に燃えた〜♪」と、
歌っていました。
そして、今日、クラスで発表。
ただのクラスでの発表なのに、
うまくいくか、
死ぬほど緊張。
「真っ赤に燃えた〜、太陽だから〜♪、
真夏の海は〜、恋の季節なの〜〜♪」
そこから、台詞に突入。
今まで通りの演出プランなのに、
ぷるぷるの感触でした。
パートナーもご機嫌。

終わってから、鼻歌で『真っ赤な太陽』歌いながら、
二人の絵を書いてくれました。
右側が、私らしい。
それにしても、美空ひばりは、やっぱり伝説の人だと改めて認識。
外国人が聞いても、
いっぺんで、
歌詞も曲も覚えてしまって、
みんな頭から離れないー!!
と、困っていました(笑)
1月頭から稽古を初めて、
受験でもすでに、2回発表していて、
クラスでも、何度となく発表しているシーン。
いかに、くりかえし行われる「本番」をフレッシュに保つか。
うまくいった次の回こそが、恐怖なのが演劇。
先週の月曜日にクラスで発表したときは、
あり得ないほど最悪で、
自分でも吐き気がするほどでした。
なにもかも完璧なのに、
なにも「生まれてない」
思わず、「稽古のやりすぎ」だと思って、
距離を置こうかとも思ったのですが、
冷静に考えてみると、
気持ち悪いときは、
きっと、相手が変わっても同じ演技するんだろうな、
ハイパーエゴイスト人間になってしまったとき。
稽古をやめるなんて、
あまりにも若造のくせに怠惰ですし、
「やれば、やっただけのこととが確実にある」
という確信が失われるのも癪だったので、
とりあえず、スタジオへ。
というか、「稽古のやり過ぎ」という悪化原因を認めてしまったら、
もはや、演劇の「反復性」を無視することになる。
などと、もやもや考えながら台本を読んでいたら、
ふっと、美空ひばりの『真っ赤な太陽』が頭の中に流れてきました。
速攻、家に帰って、
you tube検索したら、
最高な動画を発見!!
これは、もう「レキ」という私が演じている役のために存在するような歌だ!!
何故か、
必死に物まねを練習して、
気づいたら、早1時間。
思わず、自分の必死さに笑ってしまいました。
はやく皆に発表したくて、
昨日、ルクソンブール公園でのミーティングがあったので、
そのときに皆に『真っ赤な太陽』をお披露目。
みんな、大爆笑で、
速攻覚えて、
「真っ赤に燃えた〜♪」と、
歌っていました。
そして、今日、クラスで発表。
ただのクラスでの発表なのに、
うまくいくか、
死ぬほど緊張。
「真っ赤に燃えた〜、太陽だから〜♪、
真夏の海は〜、恋の季節なの〜〜♪」
そこから、台詞に突入。
今まで通りの演出プランなのに、
ぷるぷるの感触でした。
パートナーもご機嫌。

終わってから、鼻歌で『真っ赤な太陽』歌いながら、
二人の絵を書いてくれました。
右側が、私らしい。
それにしても、美空ひばりは、やっぱり伝説の人だと改めて認識。
外国人が聞いても、
いっぺんで、
歌詞も曲も覚えてしまって、
みんな頭から離れないー!!
と、困っていました(笑)